屋根裏の宝箱 【音楽・ギター・etc、】

音楽やギターのこと、あれこれを長年の経験に基づいたノウハウを生かして記事を書いていきます。このブログが皆様の宝箱になれば幸いです。

リッチーブラックモアズ レインボー 札幌中島スポーツセンターの悪夢

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私がギターを弾き始めたきっかけは、ディープパープルの♪バーン♪を聴いたからでした。当時、私の周りではエレキといえばベンチャーズではなくリッチーだったのです。そんな偉大なリッチー様が札幌に来るぞ!と聞いた時の衝撃は忘れられません。天皇陛下が全国を行脚してわが町に来た時と同じインパクトがありました。

1977年1月27日(金)遂にその時がやって来ました。友達3人で、とある田舎町から電車で札幌に向かいました。早く着きすぎて中島スポーツセンターの周りでうろうろしていると、奥の方からギターの音が聴こえて来ました。確か2時30分頃だと記憶しています。独特の音色とクセのあるブルースのリフでした。正にリッチーのサウンドチェックの音が聞けたのです。外まで聞こえるのですから相当大きな音を出していたのだと思います。しばらくして無音になり感動を味わいながら会場するのを待っていました。会場になり中に入ってステージを見ると、あのレインボーオンステージのジャケットと同じ大きな虹がステージにかかっていました。もうそれだけで興奮状態です。18時30分になり前座の四人囃子の演奏が始まりました。今では偉大な四人囃子ですが、当時はまだあまり知られておらず、可哀想に「帰れー」コールが飛んでいました。私は素晴らしい演奏をしていたと記憶しています。19時過ぎに前座の演奏が終了し、レインボーの登場を今か今かと興奮状態で待っていました。しかし、なかなか登場しません。皆、リッチーコールや手拍子に足拍子で興奮状態です。40分程経過した時、突然会場が暗くなり、あのドロシーの声が鳴り響きました。私は運良く15列目のステージ中央に席を取っていました。突然、後ろからドーッと人波が押し寄せて来ました。一瞬何が起こっているのか分からなかったのですが、強い力が私の身体を押しつぶそうとしていました。パイプ椅子が散乱していました。隣の友達と手を繋ぎ、ここから逃げなきゃと思い悪戦苦闘していましたが、なかなか自分の力では思うように行きません。繋いでいた友達の手が離れてしまい、一人でもがいていました。一瞬[死ぬかも]と思いました。横の壁の方へ行けばなんとかなると思い、人波を押し避けやっとの思いで壁の方に行き、案の定そこには空間があり難を逃れました。その間ステージは行われていました。30分くらい経った頃でしょうか、突然会場が明るくなり、リッチーがトリルを続け演奏が止まりました。そして日本人スタッフがステージに現れ、「皆さん落ち着いてください。すでに怪我人が出ております。リッチーはこの様な状況を望んではいません。さあ、その場に座って下さい。、、、、」その間リッチーは下を向いたまま不動でした。そして一度メンバー全員がステージから消えました。会場の皆は秩序よく冷静にその場に座り込みました。10分程経ってリッチーがポロンとギターを弾きながら登場しました。そして会場が明るいままコンサートが再開されました。最後はお決まりのギタークラッシュで虹の上にギターがぶら下がりコンサートは終了しました。

3人の友達と離れ離れになった私は元の所に行けば居るような気がして戻って見ると無事2人に会うことが出来ました。帰る途中、女の子が1人亡くなったことを知りました。何人もの怪我人も出ました。運が悪ければ私達もどうなっていたか分からなかったこのコンサートは、興奮、恐怖、悲しみ、感動、をミックスしたような不思議な感覚の記憶となっています。その後リッチーを2回見ていますが、そのどちらもとてもリアルに感じましたが、札幌のリッチーは現実感があまり感じられない夢のような記憶になっています。

時々、亡くなった女の子のことを考えます。同じ思いでそこに行って大好きなリッチーの前で不運に遭い、、、なんと言っていいのか言葉が見つかりません。

こんな事に遭いながらもトラウマにならずに今でも熱く熱狂できるギターアイドルであるリッチーブラックモアは私にとって生きる糧の一つなのです。